- 志和龍城認定こども園の目指す保育者とは -
乳幼児期は、人格形成の基礎的段階であることはいうまでもありません。
従って周りの環境の影響をうけやすく、人的環境としての保育者や、
日々子どもたちと関わる職員の影響は多大です。
そこで志和龍城認定こども園が目指す願わしい保育者や職員像を次にあげてみます。
「生かされて生きていることへの自覚があること」
人間は、自分自身で生きていると思い込んでいるものです。一人で頑張って生きていると思っている私は、家族を含め、同僚や上司、そして子どもたちと、多くの人たちのお蔭によって生かされ育てられています。
また、目には見えなくても太陽や空気や森羅万象のすべての「いのち」を生かすはたらきの阿弥陀さまや、ご先祖さまたちに見守られ、導かれ、恵みを限りなく与えられて今があります。
それらのお蔭様につつまれて、育てられ生かされて生きていることを、まず自覚しなければなりません。
「自らがいきいきしていること」
実は生かされていた私であったという深い頷きと自覚は、そのまま「生かしていただいて ありがとうございます」という感謝の念につながります。その感謝の念は、自らの生きる姿勢を晴れ晴れとしていきます。
晴れ晴れとした姿勢は、必ず「いきいき」とした保育者や職員の生き方に自然に変容していくのです。
「子どもに模倣されてもよい保育者や職員であること」
子どもは保育者や園内で関わる職員たちを写し出す鏡です。
不安定な状態で望むと、子どもも不安定になってくるものです。言葉や感情の起伏にも左右され、良いことも悪いことも保育者や職員の影響をストレートに受けていきます。
そのためにも、保育者や職員自身が常に早寝早起き等によって体調を整えておくことを大切にしています。
「子どもと遊べる保育者や職員であること」
どれほど経験を重ねていても、子どもと保育現場で遊べなくてはなりません。
子どもと遊ぶことが大好き、子どもと遊ぶのが楽しくてしかたがない保育者や職員であってほしい。
とくに保育者は遊びの中で、子どもたちから新鮮な驚きを聞くことによって教えられ、子どもと共に育つ共育の世界が生まれてくるのです。
「いつでも笑顔をたやさない保育者や職員であること」
いつでも、どこでも、だれとでも、いつもにこやかで、明るく接しましょう。
子どもだけでなく、業者の人にも、同僚にも、上司にも、保護者にも、家族や近隣の人たちにも、明るく笑顔で接することをモットーにしていきましょう。
保育者や職員がいつもにこやかな笑顔でいると、子どもたちも自然と明るく元気になっていくものです。
「子どもから学べる保育者や職員であること」
「子どもは大人の先生である」、「子どもは大人の合わせ鏡である」、と言っても過言ではありません。
保育者は子どもと共に遊び、子どもから学ぶことによって、自己の能力をたかめ、人間相互の信頼関係も深まるのです。
「いつでも臨機応変のスピード処置・対応がとれる保育者や職員であること」
園庭で子どもが怪我をした場合、怪我の原因結果の追求より、先ずは傷口の応急手当てをすると同時に、すぐに園長や主任に報告し、園としての必要なスピード対応を行うことが大切です。
その他、災害や不審者への危機防止など、園の安心・安全を守るためのノウハウや対策を、全職員が幅広く共有していきます。
「身だしなみやマナーを大切にする保育者や職員であること」
服装・髪型・表情・声・話すスピード・電話応対・保護者応対・立ち位置等、志和龍城認定こども園では常に子どもに模倣されてもよい保育者や職員を目指すため、定期的に「接遇マナー研修」を受け、自らの自覚と責任によって身だしなみやマナーを徹底していきます。
「保育者・職員としての自覚と責任を持つこと」
保育者は自分の担任の子どもというだけでなく、園全体の保育者としての自覚と責任を持つことが大切です。
これは職員も同じです。また、園の外でも園を代表している一人です。
志和龍城認定こども園の職員であるという自覚をもって行動していきます。
「常にお法を聴聞する保育者と職員であること」
おやくそくの中に「わたくしたちはお話をよく聞きます」とあります。お法を聴聞するとは、阿弥陀さまの「安心しなさい いつもおまえと一緒だよ」といった呼び声を聞かせていただくのです。そのことを聞法といいます。
阿弥陀さまは、いつでも、どこでも、どんなときでも、私とともにいらっしゃるのです。
ともに育ち合い、支え合う世界は、阿弥陀さまと一緒の世界です。
だから、保育者や職員自身が、阿弥陀さまのお話をよく聞くことが肝心なのです。
「毎朝の集い」や月に一度の「まことの保育研修会」以外にも、お寺の行事には出来るだけ参拝して、仏法を聴聞していくことがとても大切です。仏法を聞く中で、阿弥陀さまが中心という世界が開け、「おかげさま」「ありがとう」の感謝の合掌も、自然に湧いてくるので、それが子どもたちに素直に伝わっていくからなのです。 |